半端な中で半端に生きていくことでバランスをとる生き物
尖っている才能は好かれる。
数学の天才、美術の天才、彼ら、彼女らがエキセントリックな性格だったとしても、それは周囲から肯定的に評価され、語り継がれることがあるだろう。
翻って俺は半端ものである。
いつでも所属する集団の中で、その集団を否定することで自分のアイデンティティを担保してきた。
反発したいんだよ。
半端なところでしか個性を発揮できないとも言える。
進学校に入り、「部活で成績残せねえ奴はゴミだ」とか
バンドをやるサークルに入っては、「ギターとかベースとか終わってる」だとか、
データサイエンティストになってから「ビジネスやったことない奴はクソ」といった愚かなことを周りに吹聴してきた。
いわゆる逆張りを繰り返してきた。
そうしてキャラクターを確立させてきた。
こんなことは無意味だ。
俺も、それを見て、聞いた人間もそう思ったことだろう。
だけど俺はそうでしか生きられないんだよ。
何かを真っ当にやり遂げようとか、そんな気は毛頭ないんだ。
小器用にいろいろ手を出して、それで生きていくしかないんだよ。
なぜなら俺には才能も志もないからだ。
「お前は何の仕事がしたいんだよ」
「お前はやりたいことなんなんだよ」
そんなもんねえよ。
うっせえバカ。死ねよ。
やりたいことなんてねえよ。
バカを笑い飛ばせばそれでいい。
報われない人がなんとなく助かればそれでいい。
俺はそんなに贅沢言える身分でもないんだよ。
ペテンにまみれながら、明日の飯の心配をしているんだよ。
なにがやりたいかなんて贅沢を言える身分じゃねえんだよ。
それなりに生きるすべを確保しながら、それなりに安定してからじゃないと
何もできないんだよ。
このやり方では、遠いところには行けないと思うけど、
俺は俺自身が納得すると思っている。
そうやって開き直ることもできやしないから、こうして文章に起こした。
月一くらいでなんか書こう
タイトル通りである。
俺は過去の自分のアウトプットを眺めることが好きだ。
作った曲、仕事で作った資料
未熟な過去は俺を温めてくれる。
そんなわけで未来の自分になんかしら面白いコンテンツを残すことを当面の目的とする。
そんなことだっていいんじゃないのか。
殴り書きで何が悪い
子供の頃から計画的に何かをこなすのが苦手だった。毎日コツコツと、小さいことからはじめよう。人生は積み重ねの努力が大事だ。糞くらえだ。否定して今の自分がいる。
計画的に行動できないこと、これは人生を送る上でかなりのディスアドバンテージだということに、最近自覚する機会が増えてきた。仕事はいわずもがな、希望した職業に付けなかったことも、この短所故である。最近では私生活でも苦労することが多くなってきている。
自分の行動がことさら変わった訳ではないので、自分の認識する範囲が広がって、物事の運びの悪さが自分の欠点に起因することを特定できるようになった、そういうことだろうと考えている。だからといって欠点を克服できるわけではないし、また、克服しようともしていないのだけれど。
計画的に行動できるようになりたい。実生活での不便が多いゆえだ。今だって思いつきで文章を書くもんだから収集がつかなくなっている。
文章をかく前に、テーマを決め、起承転結を考え、文章を書き、推敲し…考えただけで嫌になる。面倒だ、やりたくない。仕事だけでいいじゃないかそんなことは。大体そんなことをしているうちに熱がさめて動きたくなくなってしまうんだいつも。俺という人間はそんな屑なんだよ。
だから思いつくままに殴り書きしたっていいんじゃないか。俺にはそれしかできないんだから。勘弁してください。
なんでこんなことになったのかわからない
どういう心持ちなのかわからないが、文章を書きたくなった。自分の自分による自分のための文章をしたためてみたくなった。思えば昔から文章を書きたいという欲求はあった。確かにそれは自分のなかにあったのだけれど、体を動かすのが億劫なのですぐやめてしまった。でも今日からは少しずつでいいので継続して書きます。